建設業界
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地方国立大学院からスーパーゼネコン総合職に就職。入社2日目で辞めたいですと言ったが、5年目で同期より1年早く昇級した経験談(前編)

tantan
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 ものづくりの最前線であるゼネコンで働きたい。でも長時間労働や強面の職人さんとやっていけるのか不安。そんな大学生の皆様へ。

 今回は地方国立大学院卒からスーパーゼネコンへ入社し、2日目で辞めたいですと言った僕が、5年目に同期よりも1年早く昇級し、6年目には希望内勤部署へ移動した経験談を話します.

 これを読めば、ゼネコンでやっていけるかどうかが分かるし、何よりこんなやつでもやっていけるなら大丈夫かと安心できると思います.

「お前向いてねーよ」から始まった就職活動

 大学院での就職活動が始まった。インターンシップや合同説明会に行き、僕はものづくりの最前線である、ゼネコンを志望した。そして、ゼネコンの中でもスーパーゼネコンと呼ばれる5社の内の1社を第一志望とした。研究室の教授は応援してくれてはいたが、正直僕がゼネコンに行くことに大賛成ではなかったようだ。

 しれっと「お前ゼネコンには向いてねーよ」と言われた。自然に言われすぎて危うく聞き逃すところだった。そう、向いてないのである。

 しかし、ここで僕のゼネコン志望は途切れなかった。何故なら、ゼネコンで現場経験を積めば、コンサルや公務員への転職が容易だと思ったから。逆に現場も知らない僕に何ができるのだろうと思ったからだ。

 なんやかんやあり、学校推薦をもらうことができ、無事内定を頂けた。学校推薦をもらえたことは後から知ったので、最終面接を終えて連絡が全然来なかった時は完全に終わったと思っていた。別件もあり、やさぐれてタバコを吸っていた僕は、ベランダでタバコを吸いながら、向かいの小学校のイベント帰りの親子を見ながら涙を流したこともある。それはまた別の話か。

 内定をもらうことができ、無事?修士論文の提出もできた。あとは4月から始まる社会人生活に向けて思う存分大学生を満喫するだけだった。

最悪の3月

 大学の卒業式を終えて早々に実家へと帰省した。借りていたアパートも出て、実家へと荷物を送った。MRワゴンを運転して、これで最後かもしれない、大学から実家までの道を走った。

 色々あって大学院の卒業旅行へは行かなかった。3月はほとんど実家で過ごすことになった。これが最悪の始まりだった。

 今になってはっきりとわかる。僕の親は特に母親は毒親だったのである。他人を愛することのできない人だったのである。そして、これも後から振り返って分かることだが実家での生活は本当に苦しかった。そんな生活を経て、4月から東京でのホテル暮らしという新入社員研修が始まったのである。最悪の滑り出しだ。

入社式にて限界を感じる

 周りの奴らはキラキラしている。3月の休みも友達と充実した日々を過ごしたのだろう。それに比べて僕は・・・友達とも遊ぶことなく、実家でストレスを感じながら生きていた。日々両親からのえも言われぬ圧を感じつつ生きていた。そして、初日を終えた僕は限界を感じた。

 「もうだめだ。会社辞めよう」

 2日目は行けなかった。体調不良ということにしたかもしれない。とにかく行けなかった。すぐに会社の人がホテルへ訪れてくれた。そこで僕は言った。

「会社を辞めたいです。自分や親がアスペルガーなんじゃないかと思います」と。

 入社2日目の新入社員からいきなりそんなことを言われたら、どう思うだろう。「え?」と思うだろう。しかし、会社の人は冷静に対応してくれた。産業医との面談を取り付けつつ、とりあえず新入社員研修へ参加することを促してくれた。

新入社員研修と産業医面談

 3日目からは普通に行った。正直この辺りのことは心境も含めてよく覚えてはいない。どっかのタイミングで心療内科へ自分で言った気がする。同期とうまくコミュニケーションが取れない。そんな自分は発達障害があるんじゃないかと思って、検査を受けることにした。

 同時に産業医との定期的な面談が始まっていた。週1回だったか定かではないが。のちに産業医の先生からは、今でも心に大事に持っている、言葉をもらった。

 検査の結果、アスペルガーではなかった。ほっと安心する一方でじゃあなんなんだろうとモヤモヤする気持ちを抱える。

内勤部署へ配属される

 ほとんどの同期は現場か設計部署に配属された。僕は内勤で,設計でもない部署に配属された。現場に出してもやっていけないと判断されたのだろう。東京の満員電車での通勤から始まった。同期からはやっぱりあいつなんかあるんじゃないかと囁かれていたかもしれない。

 当たり障りのない仕事だった。まあほとんど上司の指示に従っているだけの日々。だいぶ落ち着いてきた頃に現場配属の話をされる。

 「そんなに激しい人のいない現場だから大丈夫だろう」と言われ、都内の現場へ異動となった。

初めての現場勤務

 分からないことだらけだった。ただ一つわかったことがある、工事現場はほぼ全ての人を受け入れられるぐらい懐が深い。もちろん厳しい口調で職人さんや上司から言われることはあるが、最終的には面倒を見てくれる。職人さんも多種多様な人が1つの構造物を作るために協力しあっている。来るもの拒まずといった感じだった。

 よく分からない雑用や作業の調整失敗での叱責なんて日常的にあったが、別に普通にやっていけた。忘れっぽい性格なので、終わったことはそんなにウジウジ考えないし、しょうがないじゃんと開き直る力をメキメキと向上させて行った僕は、普通に現場の一員として溶け込むことができた。

5年目で訪れた転機

 2年目の終わりに、2つ目の現場に配属された。現場をガンガン進めていく能力が低いので大して期待もされてなかったが,平凡な社員として仕事をしていた.

 現場の業務の中でこれ面倒くさくね?ってことがあれば,仕組みを変えていった.上司から注意されたことやアドバイスされたことがあれば,とりあえず一回やってみた.大学生から続けているビジネス書の多読で良いじゃんって思ったことは,即実践に移した.IT化の必要性をいち早く理解して,めっちゃデジタル化していった.新しいツールを導入したり,新しいアイテムを試すために企業に即電話してみたりもした.

 結果として同期よりも1年早く早く昇級することができた.大きな転機であった.自分の能力と,素質が時代に求められていることと,めっちゃマッチしたのである.働き方改革が急務と言われているこの世の中で,こんなにも働き方が変わっていない業界はないんじゃないだろうか.建設業は今でも100年前と変わらない働き方をしていることが多い.

 自分で問題点を考え,こうやったらいいんじゃないかを見つけて実践していく.メモ魔であり,忘れん坊な僕は,とにかくデジタルでメモを取ったり,写真を取ったりしてデータとして記録を蓄積させていった.

後半へ続く(一生完成しないので一旦アップする)

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ABOUT ME
tantan
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土木技術者
2018年大手建設会社へ入社 2023年4月より内勤への異動を命じられる アパートを借り、一人暮らしする費用を賄うためにブログを始める 好きなもの ・猫 ・コーヒー ・ミニマリズム ・読書 ・筋トレ ・BMX ・散歩
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